【ビンタン連動企画】仁井聡子さんにインタビュー!DJとは表現力の隙間産業?!

おさと

 

みなさんこんにちは!13期のさとです!

3月13日に私たち802wannabesが企画に携わった番組、802 BINTANG GARDEN 「Action! 〜未来に向かって〜」が放送されました!

今回、番組でDJをしてくださった仁井聡子さんにインタビューさせて頂きました!


今回は13期のりほ、さとでお話を伺いました。

仁井さんは普段、FM802 で土曜日の朝 7:00〜12:00 の「SATURDAY MORNING ISLANDS AFTERNOON EDITION」の DJ を担当しています。

この時期は進学や就職などで環境が変わり、これからの生活に楽しみなこと、不安なことがたくさんあると思います。そんな方の背中をそっと押せるようなインタビューになっています!

 

――高校時代にDJオーディションを受けたとお聞きしました。その決断に至ったきっかけや当時の思いを聞かせていただきたいです。

 

小学校四年生の時にDJになりたいと思ってから、一途にそれしか考えていませんでした。でも、放送局のアルバイトも受け付けていないし、どうやったらラジオ局に入り込めるのかなということを常々考えていました。

そんな時、当時よく聴いていたAMの『ミッドナイトデビュー』という深夜放送で、オーディションのCMが流れてきたんですね。それで、「私が入り込めるのはここしかない!」と思って、オーディションを受けることを決意しました。

年齢は不問だったのですが、深夜の番組だし高校生は受からないかなと思い、やってはいけないことなんですけど、短大生だと年齢詐称したんですよね。それで一次審査に出したら受かっちゃった。

でも二次審査はディレクターさんやプロデューサーさんがいらっしゃる所でマイクテストも含めての面接だったので、嘘がバレちゃうと思って、「実は高校生です」と打ち明けました。そしたらプロデューサーの方が「自分で責任取れるなら全然いいよ」と言ってくれたので、学校にOKをもらわないままオーディションを受けて、合格したんです。

 

――そういう経緯だったんですね。最初のお仕事はどんな感じでしたか?

 

最初のお仕事は10分の深夜の番組でした。構成から選曲まで全部任されて、初めての私にとっては難易度の高い番組を担当させてもらいました。ラジオ局の中に入ったこともなくて、何一つ分からないまま行ったので、本当に嬉しくて「夢の切符獲ったぞー!」という様な感じでした。だから初めてDJブースに入った時のことは本当に忘れられないです。ドアを閉めたら耳が密閉されるような感じがして、「うわ!DJブースってこんなのなんだ!」と感動したのをすごく覚えています。

 

――興味深いお話ありがとうございます。耳が密閉される感覚という表現がすごくわかりやすかったです!高校生でオーディションを受けると決めたときの友達や家族、周りの反応はいかがでしたか?

 

親にも友達にも一次が受かるまでは言いませんでした。やっぱり落ちたら恥ずかしいと思っていたので、一次が受かったらとりあえず言おうと思っていました。

家族の反応は「また変なことして!」みたいな感じでしたね(笑)。でも私、小学校の頃から自分の学習机でずっとDJごっこをしていたので、DJオーディションを受けたこと自体は不思議に思っていなかったみたいです。「あ!そんなのあったんだ。まあやってみれば?でも高校生で大丈夫なの?」という感じでした。母親は、なんでもやってみたら?というタイプだったので、「やめなさい!」と言われることはなかったです。

怖かったのは学校だけでした。学校は芸能活動みたいなものを一切許していなかったので、バレたら大変だなと思いました。だから「ブルガリア聡子」という名前で始めたんです。

 

――なぜ「ブルガリア聡子」という名前にされたのかすごく気になっていたんです!

 

プロデューサーさんに、名前が出せないのであれば来週までになんでもいいから決めてくるように言われたんです。でも全然思いつかなくて、その締切日当日にあった学校の朝礼の時に、貧血で倒れちゃったんですよ。それで保健室に運ばれて、その後友達が私の顔を見て「あんたの顔ブルガリアヨーグルトのパッケージくらい青かったよ」って言ったんです。そこから来ています(笑)。

別にその友達の一言でブルガリアにしよう!と思ったわけではないのですが、何も思いつかないまま局についてしまいました。それで「名前決めてきた?」と言われたので、「あ〜、ブルガリア聡子でお願いします!」となったんです(笑)。

仁井という名字は広島では珍しいので、絶対にバレる!と思って、とにかく名字は使わずに下の名前だけでやろうかな〜という感じで「ブルガリア聡子」になりました。

 

――やっぱりブルガリアヨーグルトからきてたんですね!まさかそんなエピソードがあったとは!驚きました(笑)。

次に高校時代の仁井さんについてお聞きしたいと思います。DJというお仕事をしながら高校生活を過ごされていたと思うのですが、学校ではどんな学生でしたか?

 

おしゃべりな子で、席替えをしても必ず教卓の一番前に座らされていましたね(笑)。友達や先生にいたずらするのも好きで、とにかくトラブルメーカーでした。ちょっとしたトラブルがあると、先生に「仁井はどこにいった!」と探されていました。私じゃないのに!という場合でも先生には仁井がやったと思われるという…(笑)。

 

――当時から喋ることが好きだったんですね!

 

 

難しくもあり面白くもあった表現力の隙間産業

 

――仁井さんのお仕事においての大きな転機を教えてください。

 

関東でアナウンサーさんがやっていらっしゃる文化放送番組のアシスタントとしてお仕事に復帰した時です。今までは「元気がとりえです!」みたいなキャラだけでOKだったような気がしていましたが、このお仕事をきっかけに、それだけじゃ通用しないと思うようになりました。

それまでアシスタントというものをやったことがなく、ずっとワンマンでDJをやっていたので、立ち振舞いが難しかったです。自分はお喋りをすればいいと思っていたのですが、アナウンサーさんが言ったことに対してどう答えればいいんだろう、その一言で果たして自分を出せるのだろうか、と考えていました。表現力の隙間産業みたいなことがすごく難しくもあり面白くもあったんです。

 

――表現力の隙間産業?

 

今まではどんな言葉をどう扱ったらいいのかということをあまり考えずに感情のまま喋っていました。でもそうではなく、その隙間に何を言えばその話がもっと盛り上がるのか、もっと膨らむのかなということを考えるようになりました。

相槌ではないけれど、その人の軸となっている話を邪魔しない表現って難しいんです。解けない方程式ではないかもしれないですけど、私にとってはすごく新鮮な課題でした。でもなんとなくそれがうまくいったとき、周りの反応がすごく良かったり、自分の気持ちがピカピカしたりすんです。その方程式に近づけたのかもしれないなと思いました

それまでずっと音楽が軸にある番組をやっていたのですが、そうではない番組になった時に、自分のパーソナリティ力や表現力は、喋ることだけじゃないんだということを初めて知りました。それがDJというお仕事においてのターニングポイントでした。

 

――そうなんですね。今、お仕事においての転機について聞かせていただいたのですが、D Jとしての挫折はありましたか?

 

オーディションに落ちたことですね。それまで結構とんとん拍子だったんですが、関東の大きな番組のオーディションを受けたときに初めて落ちて…。自分ではそのオーディションはすごく上手くいったと思っていたんですけど、やっぱり驕りがあったんでしょうね。今まで落ちたことなかったので、最初は受け入れられないというか、「私落ちるんだ!」というのが初めての挫折でしたね。

 

 

「とことん落ち込むという武器」母からの言葉

 

――私も上手くいったなと思っていても、いい評価が得られないときがあったり、生きている上で失敗したり、困難にぶつかったりすることがあります。そういった時に、気持ちを切り替えるのが難しいなと感じていて、仁井さんはどうやって失敗を乗り越えたり、気持ちを切り替えたりしていますか?

 

相手から振られるとか、どうでもいいことの切り替えは早いです。どうでもよくはないか(笑)。振られるって、相手が私に興味がなくなって自分にはコントロールできないことだから、もうしょうがないじゃないですか。

それよりも番組が自分のせいでうまくいかなかったときは自分がもっとコントロールできたんじゃないかと思って落ち込みますね。でもそういう時に母親が「とことん落ち込むっていう武器を得たね」という言葉をよく言ってくれるんです。母親は困難があると隠さずに落ち込むんですよ。それを見てきたので、落ち込んでいいんだなって思えます。

私は今、お母さんであり奥さんでもあるのですが、「立場上、落ち込まないでいよう!」と思うことはしんどいなっていうことに気がつきました。「私今すごく落ち込んでいるから時が経つまでそっとしておいて。」と言うのは大事だなと思います。それを取り繕えるほど私は強くないので、そういうことを言える相手がそばにいるということも幸せなことだなと思います。これが私にとってのいい切り替え方法ですかね。

 

――確かに。落ち込んでいる姿を隠すことが大人になるということなのかなと思っていたんですけど、正直になることも大事ですね。

 

そう!結構落ち込んでいる自分に酔っちゃうこともあるので、それもいいなと思っています。

落ち込んでいる時に泣ける曲を聞いたり泣ける映画を見たりしてさらに追い討ちをかける、そうしていると、暗い地底から差し込む光が見える瞬間があるんですよね。だから落ち込みながらもそれはそれで楽しんでいますね。

 

――落ち込みながらも楽しむ!なるほど!

前編最後の質問になるのですが、この時期は進学や就職などで新しい挑戦をしたり、新しい道に進んだりする方がたくさんいらっしゃると思います。仁井さんが今挑戦していることやこれから取り組んでみたいことを教えてください!

 

今はコロナ禍でなかなかできないんですが、将来の夢としてB&B(ベッド&ブレックファースト)のお宿をやりたいと思っていて、その気持ち的な準備や資金の準備をちょこっと始めています。

近いところで言うと、ラジオではないですが、あるオーディションを受けようとしています。いつ死ぬか分からないのでやってみたいなと思っています!

あと、私40代になってから体調の変化が激しくて、それを払拭するためにも自分で楽しいことをたくさんしておきたいなと思っています。ラジオをやっている時は自分の不調を忘れるんですよ。だから集中できる様なことをたくさん持っていると、とんでもない不調はあまり見えなくなるなというのは皆さんにお伝えしたいですね。

 

――確かに熱中したり、集中したりできる趣味があるのはいいことですよね。仁井さん、ありがとうございました!

 

 

前編では仁井さんの学生時代のお話やお仕事においての転機などについてインタビューさせて頂きました!

そんな仁井さんがDJを務めた、802 BINTANG GARDEN 「Action! 〜未来に向かって〜」は、スマートフォンやパソコンから気軽にラジオを楽しむことができるアプリ『radiko』で3月20日(日)まで聴くことができます!

聴取はこちらのリンクからどうぞ!

802 BINTANG GARDEN│FM802│2022/03/13/日 21:00-22:00

http://radiko.jp/share/?sid=802&t=20220313210000

後編では、仁井さんのリフレッシュ方法や、現在学生生活を送っている方々へのメッセージを掲載します。お楽しみに!!

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